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今月のさくらいジャーナル
平成13年9月発行
今月のトピックス

紙ナケレバ空ニモ書カン
〜反動の烙印押され文壇の生贄になった〜
昭和の文壇の巨人・保田興重郎
 
  「日本浪曼派」の旗手として活躍、戦後は公職追放、不当な文壇な仕打ち、今なお残る偏見にも屈せず文学の信実を求めつづけ、『保田與重郎全集』全45巻に及ぶ膨大な論著を遺した昭和文壇の巨人・保田與重郎は、桜井が生んだ最大の人物である。昭和56年10月4日、71歳でこの世を去った。今年は保田與重郎没後20年にあたる。

 保田與重郎は、明治43年4月15日、父・槌三郎、母・保栄の長男として桜井市桜井780に生れた。生家は現存している。育成幼稚園、桜井尋常小学校、畝傍中学、大阪高等学校から東大に進み、在学中から同人誌「コギト」を創刊、盛んな文筆活動を行った。東大卒業後、亀井勝一郎らと「日本浪曼派」を興しその中心となる。

 昭和11年、処女出版「日本の橋」で池谷信三郎賞を受賞、文壇の地位を確立。以後「戴冠詩人の御一人者」「蒙疆」「御鳥羽院」「和泉式部私抄」 「万葉集の精神」などを著わす。

 このころ日本は、日華事変が深刻化し大東亜戦争に突入していく時期で、古事記、万葉集、延喜式祝詞など古典文学の伝統のもと新しいロマンチシズムを打ち立てようとする保田の著作は当時の若者を魅了し、彼を時代の寵児に仕立て上げていった。

 終戦後、保田は公職追放に処され、文壇からは最も悪質な右翼分子のレッテルを貼られ、発表の場を閉ざされた。戦中は左から右へ、戦後は右から左へと巧みに転向していった多くの便乗文化人を彼は20年後「そのころ私は、他人の卑怯な世渡りを難じたことはない。また多くの者は、私一人を大東亜戦争の重大責任者であるといふ形で葬り、それによって自分らのはかない世渡りを合理づけようとした。」と回顧している。

 しかし、彼は不遇の時期を郷里・桜井で送り、「日本に祈る」に「紙ナケレバ土ニモ書カン」と宣言、「祖国」を創刊して匿名で時評を書いた。この時期のことを「辛抱する。この辛抱といふことが私の戦後20年の接続詞だった」と述べている。 昭和39年「現代畸人伝」で文壇復帰する。以後「大和長谷寺」「日本の美術史」「日本浪曼派の時代」「木丹木母集」「日本の文学史」「山の辺の道」「わが万葉集」などの名著を次々世に出した。
 
 
愚者のたわごと 第24回
  芝 房治 (日本文化の源流桜井を展く会幹事長)
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