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  愚者のたわごと 第18回

平成13年3月発行
 
 今世紀の課題としてテレビや新聞は、地球の温暖化、大気汚染、ゴミ公害を大きく取り上げています。しかし、問題があまりに大きすぎるので、私たち一人ひとりがどのようにかかわり合ってゆけばよいのか、途惑いもあって、今ひとつ実感が湧いてこないというのが正直なところでしょう。 しかし他人事ではなく桜井市でも、今井谷から高田方面にまたがる産業廃棄物処分場の公害問題がクローズアップされ、いまや避けて通れない重大事として市民の前に立ちはだかっています。

 この問題では、すでに地元の一部の人々や、「桜井市の環境をまもる会」の人たちが、公害の絶無を願い、市民の健康と生命を守り、子孫に美しい環境を残そうとの市民運動を展開しています。 市議会でも行政上の問題として取り上げられているようですが、なぜか市長と質問議員のやり取りはうまくかみ合っていないようです。

 その原因は、問題に対するスタンスの違いにあると思うのです。「ゴミ公害から市民生活を守る」。この課題は全市民的課題であります。このような重要な課題の解決には、誰にもよくわかる単純明快な課題を設定して取り組むことです。 すなわち目的は、公害発生の処分場を無公害の処分場に転換することで、運動とは、その目的を果たすために現実的な解決策を生み出すことであります。そのためには、一部市民の運動から、行政も巻き込んだ全市民的運動に次元を移して取り組むべきだと考えます。 しかし、このことは「言うは易く、行いは難し」の難問題です。

 そこで、そもそもゴミ問題とは何かを考えてみたいと思います。 私たちは、豊潤に物のあふれる、物質文明社会で豊かな生活を送っています。この豊富な「物」を保障しているのは近代科学であり、巨大な産業です。そしてそれが高度になってゆけば行くほど物質文明は肥大化し、人々の消費生活をより豊かに、より便利に向上させてゆきます。

 しかし、物質文明社会の高度な消費生活は、その反面、膨大な量のゴミと汚染物質を放出するのです。しかも、自然界に戻すことの出来ない人口化合物の有害物質を毎日毎日放出し、逆に私たちの生存を脅かしてくるのです。好むと好まざるとにかかわらず私たちはこの仕組みの中に組み込まれ、一方では被害者となり他方では加害者の一翼を担うのです。

  ゴミ社会はこうして生まれ、ゴミ公害は高度社会の必然悪としてはびこるのです。即ちゴミ問題は、個々人の対応能力をはるかに超えた社会的必然性として、人類の前に立ちはだかってきているのです。 その中の大きな一つが産業廃棄物処分場が生み出している公害なのです。

 したがって産廃の処理は、水道、下水道事業などが公共の責任において施行されているように、本来、国家的な課題として公共の責任において対処されるべきものなのです。それを営利的私企業にゆだねているところに、産廃公害を惹起する根本的原因があります。

 国は産廃の処理基準をますます厳しく強めていますが、これは産廃公害に反対する国民の声に押され、根本的な対策から目をそらし、業者にのみ一方的に責任を押し付けて、自らと巨大メーカーの責任を放棄、不問にしていることです。いうなればゴミ発生の入口を放任し、ゴミ出口を他人任せにして因縁をつけているようなものです。

  だからといって業者が法を犯し、不法な処理をすることは絶対に許されることではありません。厳しくとも断固として基準は守るべきです。 さて一般論として参拝問題について述べましたが、桜井市民が今直面しているN社の産廃処分場問題をどのように解決してゆくか、これについては稿を改めて考えてゆきたいと思います。

 
  芝 房治
(日本文化の源流
 桜井を展く会幹事長)
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