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  愚者のたわごと 第10回

平成12年7月発行
 
 桜井市金屋に弥勒菩薩と釈迦如来を刻んだ石板浮彫の2体の像がある。有名な「金屋の弥勒さん」である。平安時代初期の作と伝えられ、国の重要文化財に指定されている。  この石仏を祀るお堂の正面右脇に高さ110センチ、幅70センチの石碑が建っている。碑の表正面には「龍華三會」(りゅうげさんね)、左横に「東大寺別当 定海起之」と彫られている。

 「龍華三會」とは、弥勒菩薩が釈迦の滅後56億7千万年の後、天上からこの世に下生して竜華樹の下で有難い説法を3回行われる会座という意味である。 この碑がここに建てられたのは、日本文化の源流桜井を展く会が、初瀬川右岸の馬出橋詰に「仏教伝来之地」を顕彰する巨碑を建立したとき、その碑文を書いた元・東大寺管長の平岡定海師から「私はかねてから金屋の弥勒菩薩に深い思いを寄せ、この石仏の傍にいつか竜華三会の碑を建てたいと思ってきた。これを機にその思いを果たしたい。お金は私が出しますので、一切の準備を日本文化の源流桜井を展く会にお願いしたい」と、故・保田会長に依頼されからであった。 保田会長は幹事長であった私に「定海さんのたっての思いを実現してあげてほしい」と言われ、やがて碑文が送られてきた。

 私は早速、日本文化の源流桜井を展く会の三役に相談し、石の選定、工事見積りの検討などを行い、橿原市の川端石材に発注した。建立場所については、金屋区の井戸隆夫区長、長老の玉井甚一氏を煩わせ、金屋区のご了解と協力を賜り、定海師自身にも現地を見ていただき、展く会幹事も立ち会って今の場所に決定したのである。

 碑は平成十年三月に完成。除幕式は四月五日に金屋区長さんはじめ展く会幹事ら多数が集まって厳粛に執り行われた。折悪しく定海師は体調をこわされ参列されなかったが、式中、建碑の経緯や意義が話され、この碑が重文の「金屋の弥勒さん」の傍らで万世に亘って弥勒の有難さと定海師の徳を語り継ぐであろうと人々は感動した。

 やがて石材店から工事費併せて35万円の請求書が届いた。早速、会長や幹事の宮本滋氏、上田正一氏を煩わせて定海師のもとへ完成した碑の写真を添えてその請求書を届けていただいた。しかし定海師はこのとき病気とのことでお会いできず家人にそれを預け、お言付けを願って帰ってこられた。

 石材店から支払いの請求が再三となったので、宮本氏に2回、3回と師のもとへ足を運んでもらったが、いっこうに会えず、家人からお支払い下さる様子もない。仕方がないので石材店には幹事数人で立替え払いをして済ませた。 顔をつぶされたのは保田会長だが、一言も恨み言を言われず事の始末をされたのには頭が下がった。その会長が亡くなられた今になっても定海師から支払いの音沙汰は絶えてない。

 この話を聞いてある人の曰く。「坊さんに事を頼まれてお金を戴こうとは、心得違いも甚だしい。俗人これを行えばペテンと言うが、坊さんこれを行えば喜捨と言う。竜華三会とはかくも有難きものなり。」と。合掌。

 
  芝 房治
(日本文化の源流
 桜井を展く会幹事長)
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