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  愚者のたわごと 第9回

平成12年6月発行
 
 邪馬台国の謎解きで最大の鍵と言われている古墳、すなわち「箸墓古墳」が桜井市箸中にある。全長275メートル、後円部径150メートル、後円部高さ30メートルという日本屈指(第11位)の巨大さを誇る。

 数ある古墳の中で、子の古墳が歴史上、最も貴重で特異な存在として、注視を集めているのは、「邪馬台国の女王・卑弥呼がここに眠っているのではないか」との説があり、古代史の最大の謎がこの古墳に秘められているからである。

 卑弥呼とは言うまでもなく、「魏志倭人伝」に書かれている3世紀のわが国に君臨した邪馬台国の謎の女王である。「魏志倭人伝」の記述から邪馬台国の実在は確定的と見られるが、その位置が何処にあったかは不明である。九州か、大和か、諸説入り乱れわが国最大の歴史論争となっている。

 それは大和朝廷成立の前夜、すなわち我が国の建国史を解明するための最重要な歴史課題と認識されているからである。この日本建国史の解明は、箸墓古墳の謎解きから始まるといっても過言ではない。しかし、箸墓は今まで日本建国史の解明に何一つ、語っていない。歴史学界はもちろん、全国の歴史フアンから箸墓の調査研究が強く求められてきた所以である。しかし、この古墳は宮内庁が管理する天皇陵参考地であるため、立ち入ることの出来ない禁足地とされており、一切の調査が禁止されているのである。

 だが、この古墳について、調査らしき機会が過去に5回あった。 1回目は、昭和43年11月。台風の被害によって墳丘部が荒れた時、宮内庁によって調査が行われた。その報告書は宮内庁書陵部にある。 2回目は、昭和56年4月。前方部の拝所へ水道を設置するため水道管の敷設工事が行われた際の調査である。このときの調査記録が宮内庁にある。

 3回目は、平成6年12月。古墳の北側に接する大池の西堤防改修工事に伴う調査である。この時の調査記録は橿原考古学研究所によって報告されている。 4回目の調査は、平成10年6月。山本氏宅の建設に伴う古墳周濠調査で、この調査結果は桜井市教育委員会から報告された。 4回目の調査は、平成10年9月。台風で樹木が多数なぎ倒され、その整理補修の際に行われた調査で、調査資料は宮内庁書陵部にある。

 しかし、これらの調査はいずれも古墳それ自体の調査を目的とした学術調査ではないので、箸墓についての片鱗の情報を知るに止まり、実体に迫ることは到底出来ないものである。

 先に述べたようにこの古墳は民族の宝である。日本人のすべてが共有する古代文化遺産である。宮内庁がこの文化遺産を徒に地下で腐朽にまかせることなく、速やかに学術調査を行い、日本建国史の解明に役立て、保存継承の策を構ずべきである。宮内庁の英断を切に望むところである。

 
  芝 房治
(日本文化の源流
 桜井を展く会幹事長)
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