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  愚者のたわごと 第8回

平成12年5月発行
 
 桜井市に関するニュースが新聞のトップを飾ることになるとすれば、それは「古代遺跡の新発見」以外にはないであろう。 桜井に埋もれた知られざる古代や、日本民族の成り立ち、国造りの壮大なロマンが、日本人の心を蘇らせるからである。

 超高度に進んだハイテク文明の中で現代人は心の置き場を失って病んでいる。それ故に「古代遺跡の新発見」のニュースは、悠久の時をさかのぼり、民族のルーツにふれる。そのとき日本人であればあるほどその心はさわぎ、父母を恋う故里への思いに似た念に駆られて人々は桜井の地を訪れるのである。

 桜井市には歴史学界を二分する論争となっている、「邪馬台国」の一方の比定地・纒向遺跡と卑弥呼女王の墓とされる箸墓古墳がある。私も、いつの日かここに眠る王の名を知りたいとのロマンにしばしば誘われる。ことしの3月28日、「ホケノ山古墳」発掘成果の発表があった。果たせるかな各新聞はこれを全国版のトップニュースとして報じた。

 石槨の構造様式、副葬品の画文帯神獣鏡、内行花文鏡から日本最古の古墳とされた。特に棺の木片が「炭素14年代測定法」による科学調査で木の伐採時期は西暦120年ごろ、棺への加工は200年ごろであることが判明した。ホケノ山古墳の時代は3世紀半ば。『倭人伝』によれば、倭国に大乱があり、卑弥呼を女王として擁立することによって治まったとされている。また、239年に卑弥呼女王が、魏の明帝に使を送り、国交を盛んにしていた頃でもある。

 今回のホケノ山古墳発掘やこれを包含する広大な纏向遺跡によって、桜井市は、まさに日本の国づくり、日本国誕生の時代を物語る古代文化都市であったとして、日本中にその名を馳せることになったのである。  しかし、ホケノ山は桜井市に存在する古代遺跡のほんの一部分に過ぎない。桜井市にはまだまだ多くの古代遺産が埋もれている。これを機に古代遺産を学術調査や保存・復元によってさらに明かにすべきである。

 桜井市は市の振興、発展策の中核に古代文化遺産の発掘、保存整備・復元事業を据え、古代文化と共に生きて行くことを将来の大きな指針とすべきである。 ところで桜井駅の北口広場に先年「相撲発祥、仏教公伝、万葉集発燿、芸能創生」を記した観光用の標柱が建てられたときのことである。同時に説明・案内板が駅構内に建てられた。

 ところがそこには「垂仁天皇」が「垂任天皇」と書かれていて、我々が指摘するまで十数日間、誰も気づかず古代史ファンの笑いものになっていたのである。これらは原稿のミスではなく校正ミスであろうが、出来あがった段階でもなお誤りにきずかないというお粗末さは免れようがない。このほか「石位寺」が「石井寺」となっていた例もある。

 この一事で桜井市の古代文化と歴市に関する知識レベルを云々するつもりはないが、全国レベルの古代文化遺産を有する都市・桜井においては、市の将来を左右する重要な施策として市の職員に古代史の勉強を課すことは責務ではなかろうか。特に観光事業、文化財、教育に携わるものには必須である。職員の名刺に観光地の写真を刷り込むだけが能ではあるまい。(つづく)

 
  芝 房治
(日本文化の源流
 桜井を展く会幹事長)
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