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  愚者のたわごと 第2回

 
平成11年11月発行
 
駅前の再開発事業は昭和五十五年十二月、市、商工会、商店街、地域自治会による「桜井駅南口周辺整備推進協議会」(会長は故・河村善次郎氏)によって始められ、構想、計画、推進の研究に三年余が費やされ準備組合が設立された。

 本来、都市の再開発事業は自治体が行うもので、桜井市でも池田市長の時代に取り掛かったが、住民の合意が得られず挫折していた。このため地区の権利者を中心とする民間の組合方式が取られたのである。

 当初、再開発計画は商店街などを含む駅前の四つの区域で推進されるはずであったが、権利者の同意などで難航し、結局、実現に至ったのは駅前通りと西側区域(現在のエルト桜井に含まれる区域)のみとなった。全体計画の半分しか出来なかったということだ。先日、奈良新間の記者からJR奈良駅西側の再開発について、桜井駅前の再開発失敗の経験者として意見をと電話があった。とんでもない認識である。

 エルト桜井を中心とする駅前再開発の意義は大きい。この再開発は決して失敗ではない。むしろ成功というベきものである。失敗というなら、それは当初の全体計画が半分しか実現しなかったことである。全部出来ていたら今日の駅前の状況ももっとすばらしくなっていたであろうし、バブル崩壊後のエルト桜井からのテナント退店も回避出来たのではなかっただろうか。今も残念に思われる。

 桜井都市開発株式会社は、エルト桜井が出来た後、再開発組合を解散するため残された清算金十七億を引き継ぎ、ビル業務を管理するために設立された。しかしバプル崩壊、テナント退店で借入金十七億の返済計画は頓挫してしまった。

 こうなったら再開発の推進を言ってきた人の多くは、再開発事業の責任がまるで桜井都市開発という会社にあったかのごとく言い、私はその結果責任を取らざるを得ない苦しい立場に立たされることになった。このころ私を励ましてくれたのは堤野議員と戸田議員であった。実に嬉しかった。つい恨み言が出てしまった。駅前発展のための事業とはいえ、権利者にとって家や土地を手放すことは大問題である。

「総論賛成、各論反対」毎夜のように喧々諤々の議論の中で権利者の同意を得る話し合い、頭の固い県や国と法的な手続きをクリアーすることなど大変だった。毎晩、権利者のお宅を訪問したが、ある時は叱られ、ある時は説明に窮し、ある時は懇願される。あちら立てればこちらが立たず、いろんな矛盾が起こってくる。難問が入道雲のように湧いてくる毎日だった。

 私と再開発組合のかかわりは、私の会社が区域内に事務所を借りていたので、相談を受けているうちにいつか先頭に立たされていたという以外にはない。  自信を無くし「権利者でもない俺が何でこんなことしなければならないのか」と思ったのもしばしばだった。そうした時慰めたり励ましたりしてくれたのは、市から出向していた岡本清さんだった。今の桜井市収入役である。

 
  芝 房治
(日本文化の源流
 桜井を展く会幹事長)
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