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  愚者のたわごと 第1回

 
平成11年10月発行
 
 ことし七十五歳となった私の生涯で、裁判の被告にされたのは生まれて初めての経験であった。裁判の被告とは言っても、訴えはもとより事実無根だから、勝訴以外にはなく心配も何もなかったが、世の中には今でも裁判で訴えられたというだけで白い目で見る向きがあるのも事実だから訴えられた限り、弁護士を頼んだり、何らかの対応はしなければならず、腹が立つやら鬱陶しい日々であった。

 この七月から島崎章さんに桜井都市開発株式会社の杜長の席も被告の席も護り、相談役にしてもらって、再開発事業の計画時より二十年近く担ってきたエルト桜井という重荷から、ようやく解放されることになった。業腹が立つとしか言いようがなかった訴訟事件も、先日、当然のことながら全面的勝訴で決着を見ることができた。

 同時に、バプル崩壊以後最大の苦難に見舞われ「ゆうれい屋敷」と悪口をいわれてきた(今もそう呼んでいる人がいる)エルト桜井の二階が、長谷川市長の英断で市民のための場とされ、まほろぱセンターの拡充と商業者育成支投センター、市民ふれあいホールの開設がなされて、六月から明るくよみがえり、一般開放されたふれあいホールで談笑する市民、ノートを広げて復習する学生、何かの打ち合わせをしている婦人グループや、誰かと待ち合わせの若者の姿が見られるようになり、エルト桜井が駅前活性の中心となろうとしているのは、うれしい限りだ。

 「温故知新」と言う言葉がある。私はこの言葉より「尊故創新」と言う言葉が好きだ。桜井駅南部の再開発事業に晩年のすべてを賭けてきた私は、今も大きな課題である桜井駅前南部の活性化には、「尊故創新」がなけれぱならないと思っている。

 昨年惜しくも亡くなった『桜井新報』の野田収策氏が『桜井今昔』という本を出版している。この表紙に桜井駅南口の現駅舎と昭和初期の駅舎の写真を組み合わせ、桜井の今昔を物語らせている。古い駅舎はエルト桜井が完成し、今のように駅前が広く整備された後、長谷川市長によって現在の姿に改築されるまで昭和初期のままの姿であった。

 再開発前の駅前。エルト桜井のもとの場所であるいわゆる駅前通りには小さな喫茶店、ケーキ屋さん、印判店、色あせたのれんを掛けたうどん屋、玩具屋などが並んで、狭い道路はバスが入れずタクシーのみが往き来していた。こんな以前の駅前の姿を思い出す人も少なくなった。

 市長選に出るという人のパンフレットに、エルト桜井を「ゆうれい屋敷」と言い、バプルの後遺症と説明をつけた写真を載せた上、「駅前に大きなビルを造り、車を利用する社会において駅前広場を狭くする」と書かれているが、この人は再開発以前の駅前の姿を知らないか、忘れてしまった人なのであろう。

 桜井駅前の再開発事業と取り組んできて不本意ながらも「ゆうれい屋敷」の家主となってしまったが、引退を機に二十年近くのあれこれを回想し、綴って行きたいと恩う。(つづく)

 
  芝 房治
(日本文化の源流
 桜井を展く会幹事長)
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